開会式・大会会長講演(CL)
LIFE, LOVE, LD ―知の創造,情の共有から育むそれぞれのこれから―
ライブ
12月11日
9:00~9:20
(リアルタイム配信会場1(Zoom1))
LIFE, LOVE, LD ―知の創造,情の共有から育むそれぞれのこれから―
〇海津 亜希子1
1. 国立特別支援教育総合研究所
概要
【略歴】独立行政法人国立特別支援教育総合研究所主任研究員。東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科学校教育学専攻教育方法論講座修了。博士(教育学)。文部科学省在外研究員テキサス大学オースティン校 客員研究員(2005年3月~11月)。多層指導モデルMIMを開発。文部科学省「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」協力者会議特別協力者(2001・2011・2021年)。独立行政法人大学入試センター配慮事項部会委員。日本LD学会副理事長。第1回日本LD学会研究奨励賞。第22回日本特殊教育学会研究奨励賞。第1回日本LD学会学会発表奨励賞理事長特別賞。
本大会においても二つの大会企画シンポジウムのテーマとなっている多層指導モデルMIM(Multilayer Instruction Model)の研究に着手したのが2006年。それから15年が経過しようとしている。以前より抱いていた課題,そして2005年に在外研究員として本大会の特別講演をお願いしているテキサス大学のSharon Vaughn先生のもと,多くの研究者や教育行政者から米国での教育事情・課題を見聞きし,研究に参加しながら,MIMの核に価するものが生成されていった。
そして,もう一つの大きな源泉としてMIMの開発に大きく関与したのは,やはり子どもたちと過ごした学びの時間であった。LDの子どもたちとの出会いは,子どもが学校において相当につまずきを呈している状況,LDの疑いがなされてはじめてなし得る。いわば「つまずくのを待ってからの支援」とでも言えようか。こうした状況は,学びへの意欲や自己肯定感の低下といった二次的な障害をももたらしてしまう。ちなみに,この学びの困難さが二次的な障害の起因になることも重要なテーマと考え,本大会の企画シンポジウムで扱うことになっている。
こうしたLDの子どもたちへのアプローチを「つまずかせないための支援」「先回りの支援」に転換させ,MIMでは,本来つまずいてから提供されていたようなLD等の子どもへの科学的根拠に基づいた指導を,LD等を含む全ての子どもに対して通常の学級での授業段階で提供する。そして,個々の子どもの実態を把握すべくアセスメントを日常的に取り入れながら,依然当該能力やスキルの習得が困難な子どもに対しては補足的な指導や配慮を実施し,それでも尚難しければより個に特化した指導を行っていくというアプローチをとることで「誰一人取り残すことのない教育」が実現できるのではないかと考えている。
このように予防的なアプローチを通常の教育と特別支援教育との融合という形で汎用性の高いモデルとして昇華できるか,さらにはLDだけでなく,様々な要因から学習に困難を来している子どもや,学習に困難のある子どもの層だけでなく,異なる学力層の子どもたちにも指導効果がみられるかというのが,自身が追究する“学術的な“問い”である。
もう一つ,ぜひ挑みたいことがある。それは,社会において多様性がうたわれる中,教育現場においてはその兆しが必ずしもみえないことへの危惧に対してである。例えば,「勉強ができる子」「早くできる子」「明るく元気な子」等が良しとされる。しかし,「もともとは苦手であった子が努力してできるようになったり」,「遅くてもじっくり取り組んだり」,「静かにひっそり」だったり,そうしたことも悪くない。つまり,価値を表象する物差しは多様であった方が,生きやすく,快適ではないだろうか。
例えばMIMでは,“3rdステージ指導”なるものがある。これは何段階かの指導を経ても尚,伸び悩んでいる子どもに対して行われる個に特化した指導である。当初,このステージ指導の実践に躊躇される声も教育現場の中で聞かれた。その背景には「一斉指導では習得できなかったという事実」と「他の子どもと異なる指導の場の設定」が,何かはずかしいこととして固定観念に近い形で少なからず存在していたように思われた。
そこでMIMでは”3rdステージ指導“こそ,皆にとって羨まれる場,魅力的な場として機能させたいと考えている。あそこに行けば「楽しくてわかるようになる」「こういうやり方をしたらわかった」等,味わえる場にしたい。そして実際,それを具現化している学校も数多くある。さらには,上位層の子どもが「私はいつ3rdステージ指導に呼ばれますか?」と尋ねてきたり,指導の様子をうらやましそうに覗いていたりといった報告まで聞かれるようになった。まさにパラダイム・シフトである。些細なムーブメントであるが,MIMを通して起こしたていきたい学校教育の中での価値観の揺さぶり,多様性の創出である。
MIMの実践は実に多様である。それはつまり,MIMといういわば共通の窓を通すことで,実践者の“教育観”そのものが鮮明に浮かび上がってくることに他ならない。こうした研究知見と実践知とが融合され,子どもたちの幸せをともに願いながら新たな知が創造されるといった往還的なやり取りを今後も続けていきたい。
本大会においても二つの大会企画シンポジウムのテーマとなっている多層指導モデルMIM(Multilayer Instruction Model)の研究に着手したのが2006年。それから15年が経過しようとしている。以前より抱いていた課題,そして2005年に在外研究員として本大会の特別講演をお願いしているテキサス大学のSharon Vaughn先生のもと,多くの研究者や教育行政者から米国での教育事情・課題を見聞きし,研究に参加しながら,MIMの核に価するものが生成されていった。
そして,もう一つの大きな源泉としてMIMの開発に大きく関与したのは,やはり子どもたちと過ごした学びの時間であった。LDの子どもたちとの出会いは,子どもが学校において相当につまずきを呈している状況,LDの疑いがなされてはじめてなし得る。いわば「つまずくのを待ってからの支援」とでも言えようか。こうした状況は,学びへの意欲や自己肯定感の低下といった二次的な障害をももたらしてしまう。ちなみに,この学びの困難さが二次的な障害の起因になることも重要なテーマと考え,本大会の企画シンポジウムで扱うことになっている。
こうしたLDの子どもたちへのアプローチを「つまずかせないための支援」「先回りの支援」に転換させ,MIMでは,本来つまずいてから提供されていたようなLD等の子どもへの科学的根拠に基づいた指導を,LD等を含む全ての子どもに対して通常の学級での授業段階で提供する。そして,個々の子どもの実態を把握すべくアセスメントを日常的に取り入れながら,依然当該能力やスキルの習得が困難な子どもに対しては補足的な指導や配慮を実施し,それでも尚難しければより個に特化した指導を行っていくというアプローチをとることで「誰一人取り残すことのない教育」が実現できるのではないかと考えている。
このように予防的なアプローチを通常の教育と特別支援教育との融合という形で汎用性の高いモデルとして昇華できるか,さらにはLDだけでなく,様々な要因から学習に困難を来している子どもや,学習に困難のある子どもの層だけでなく,異なる学力層の子どもたちにも指導効果がみられるかというのが,自身が追究する“学術的な“問い”である。
もう一つ,ぜひ挑みたいことがある。それは,社会において多様性がうたわれる中,教育現場においてはその兆しが必ずしもみえないことへの危惧に対してである。例えば,「勉強ができる子」「早くできる子」「明るく元気な子」等が良しとされる。しかし,「もともとは苦手であった子が努力してできるようになったり」,「遅くてもじっくり取り組んだり」,「静かにひっそり」だったり,そうしたことも悪くない。つまり,価値を表象する物差しは多様であった方が,生きやすく,快適ではないだろうか。
例えばMIMでは,“3rdステージ指導”なるものがある。これは何段階かの指導を経ても尚,伸び悩んでいる子どもに対して行われる個に特化した指導である。当初,このステージ指導の実践に躊躇される声も教育現場の中で聞かれた。その背景には「一斉指導では習得できなかったという事実」と「他の子どもと異なる指導の場の設定」が,何かはずかしいこととして固定観念に近い形で少なからず存在していたように思われた。
そこでMIMでは”3rdステージ指導“こそ,皆にとって羨まれる場,魅力的な場として機能させたいと考えている。あそこに行けば「楽しくてわかるようになる」「こういうやり方をしたらわかった」等,味わえる場にしたい。そして実際,それを具現化している学校も数多くある。さらには,上位層の子どもが「私はいつ3rdステージ指導に呼ばれますか?」と尋ねてきたり,指導の様子をうらやましそうに覗いていたりといった報告まで聞かれるようになった。まさにパラダイム・シフトである。些細なムーブメントであるが,MIMを通して起こしたていきたい学校教育の中での価値観の揺さぶり,多様性の創出である。
MIMの実践は実に多様である。それはつまり,MIMといういわば共通の窓を通すことで,実践者の“教育観”そのものが鮮明に浮かび上がってくることに他ならない。こうした研究知見と実践知とが融合され,子どもたちの幸せをともに願いながら新たな知が創造されるといった往還的なやり取りを今後も続けていきたい。